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『瑞月』レコーディング記

Sonido del Viento書き下ろし新曲、レコーディングディレクターの印象記

· 音楽制作

Sonido del Vientoさんの新曲レコーディングのディレクション、プロデュース、アレンジ、エンジニアリング、現場監督を引き受けた。スタジオはA Cue Studioに二日間。この曲は松島・瑞巌寺さんのこの秋の特別イベント「NAKED 松島・国宝 瑞巌寺 秋の夜間参拝」のために書き下ろされた新曲。

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……という話だけなら「よーし、いっちょう気合いを入れるか!」で乗り切るだけだ。しかし作曲からレコーディング、納品まであまり日数がないところへもってきて私自身もあれこれ予定が入っていた10月初旬。時間というよりも体力的にタイトなのが心配だったのだが、意外にも一番難しかったのは頭の切り替え。劇伴サントラのマスタリングをやりつつ鍵盤ハーモニカで参加するライブの準備をしつつこの曲のアレンジを考え……。脳みそのリソース配分に気を使う3週間だった。一方レコーディング現場では、この追いつめられた感が良い方に作用したのか、できあがりは瑞巌寺の夜の境内を歩きながら聴いたらなかなかグッと来ると思われる音に仕上がった。

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レコーディング現場とはいろいろ微妙なものだ。ミュージシャンとは基本的に孤独な存在だが、レコーディング現場ではミュージシャンは当然として、技術者や制作担当者など、スタジオには意外といろいろな立場の人が共存する。しかも時間制限も不可避。そんな中でいつもどおり、いやいつも以上のパフォーマンスをしなければ……というプレッシャーがミュージシャンにはある。力を抜くのが大事なのは重々承知でもなかなかそれが難しい。8小節のワンフレーズを録りきるのに1時間かけることも珍しいことではない。そしてディレクションする側として難しいのは、今悩んでいる数小節のフレーズの乗り越え方と、最終的に最初から最後まで聴いた時に「リスナーが聴きたいものになっているか」を行ったり来たりしながら俯瞰して音楽を捉え続けることだ。

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現代のコンピュータを使ったレコーディングではおよそ考え得る限りの多彩な録音方法が可能で、それは一旦録音したフレーズの一音だけ録り直すことも、ピッチやタイミングを修正することも、一度だけ録音したベストテイクを曲中に何度も登場させることも、技術的にはできる。ただそれは「できる」というだけのことで、施術した結果がその曲の中で音楽的基準をクリアしているかどうかはまったく別の話になる。そして「音楽的」の基準は甚だ文学的であり明確な基準が無い。従ってそれを判断する人が必要になる。ミュージシャン本人が兼任することもあるが、例えばディレクター、プロデューサーなどの名義でその人はスタジオでひたすら考え続けることになる。今録音したテイクはベストなのか、希望到達点とミュージシャンの演奏解釈がずれていないか、演奏しなおすのと技術的に修正するのはどちらが好手か……などなど、枚挙に暇がない。

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例えばエンディングのボーカルフレーズを録音してから改めて曲の歌い出しを録音し直すということもままあり得る。ある程度演奏し続けた方が興が乗る、技術的にも安定してくるのは当然のことで、そうなると曲の前半と後半の演奏熱量がちぐはぐになってしまう可能性もある。大事なのはスタジオにいる全員が楽曲の完成形、目指すところを共有していることで、ディレクターなんて人は常にそれを念頭に置いておかねばならない。そして今回のレコーディングでは、その完成形イメージはアレンジャーである私自身の中にしかなく、どうしても作曲者が実現したいこと、ミュージシャンが演奏したいこととブレかかる一瞬が何度かあった。完成形イメージをその都度共有しベストな手法は何かをその場で話し合う。その瞬間のクリエイティビティの応酬こそがレコーディング作業の醍醐味ではなかろうか。

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ディレクターは独裁者ではないので、作曲者・演奏者からも技術者からもアイデアのインプットが欲しい。そして今回の現場はそれが密だった。的確なサポートをしてくださったA Cue Studioマスターと無茶な要求に応えてくれたSonido del Vientoのおふたりに感謝する。確かに疲れる作業である。だがおもしろくてやめられない。『瑞月(みずき)』という名の本曲は2023年10月28日から11月19日まで、瑞巌寺にて17時から21時までの夜間拝観で聴くことができる。ぜひ松島の空気の中で聴いていただきたい。どうぞよろしく。