街中の、1時間いくらでお金を払うスタジオに、ものすごく久しぶりに入った。多分2年半ぶりくらいだろう。
久保君が「最近SNSに投稿がないけど、大丈夫なんですか?」とメッセージをくれた。ありがたい話だ。病気で低調な毎日。仙台市街地のあるカフェで久保君と果てしない四方山話を繰り広げたその際、いっしょに音を出してみようということになった。久保君は鍵盤奏者でありギタリストでもある。音楽への取り組み方に多くの共通項があって、話の上では盛り上がるが実際にいっしょに演奏したことがない。では何を?どんな風に?たまたま山下達郎や竹内まりやの話が出ていて、Plastic Loveって曲はすごいなと盛り上がっていたところだった。
ライブをやろう、だからメンバーを集めよう、日程を決めて慌ただしく数回のリハーサルをやり、本番でハプニング込みで楽しく演奏してそれっきり……というのはイヤだな、と思った。腕の確かな人たちが明確に収入という目的のために演奏するならそれでも一定以上のクオリティにはなるだろうが、久保君とやりたいのはそういうものではない。そこで久保君、服部、どちらからともなく、「Plastic Love」を徹底的に研究してみようということになった。ステージに立つことは想定しない。ひたすらスタジオに籠ってPlastic Love1曲を演奏しまくる。そうして見えてくるクオリティもあるだろうし、あの曲(竹内のオリジナルにせよ、その後のオフィシャルないくつかのライブバージョンでも)は深掘りするに値するように思える。Plastic Love研究会が発足した。
そうなると必然的にバンドの形を取ることになるのだが、メンバー集めに苦労した。いや、これは現在進行形である。前段のような趣旨を理解してくれるミュージシャンはあまり多くない……というか、私の周りにはちょっと思いつかない。紆余曲折の末、ベーシスト小野寺覚君に声をかけたら「面白いっすね」と言ってくれた。まだ名前は明かせないがボーカリストも内定はした。ドラマーが決まらない。青山純(山下達郎の懐刀だったドラマー。もちろんPlastic Loveオリジナルでもライブバージョンでも叩いている。故人)へのリスペクトがあって、バンドアンサンブルとしての楽曲分析に興味があって、いつでもそこから逸脱できるだけの音楽的知識があるドラマー……。まぁ問題は青山純のプレイをいったん再現してみようぜという話に「そりゃ難しいけどおもしろそう」と発想できるかどうかであろう。逆に言えば青山純・伊藤広規というリズムセクション(と山下達郎のギターカッティング)が、あの曲のあのアレンジの成立に不可欠な要素であることを、一旦は理解咀嚼できていないとこの研究会の面白みがわからない。メロディとハーモニーさえ壊さなければどう叩いても(どう演奏しても)いいでしょというアプローチは、それが正解になることもあるが、今回は違う。そういう微妙なあわい(笑)を楽しめる人じゃないとお互い楽しくない。
こうやって改めて文章にしてみると、やっぱり何が楽しいのかわかってもらいにくいと思う。ドラマーが決まらないねぇとうだうだしていても埒が明かない。もう3人でスタジオ入ってみようぜ、音を出せば何かわかるかもしれん。ということで師走のある夜、北四番丁の某スタジオを予約。こんな状態で歌い手をお呼びするのもどうかと思ったので、あくまで3人で。
冒頭に書いた通り、私が有料のスタジオでアンサンブルの中でキーボードを弾くのは数年ぶりなのだけど、めちゃくちゃ楽しかった。全員がきちんと人の音を聴く人なのでストレスがない。達郎アレンジを演奏するのにドラマーがいないってのはどうなのかと思っていたが、とにかくベースを聴いてりゃ間違いないというシンプルさもいい。興が乗って弾き語ってみたのだが、付け焼き刃のそんなボーカルはやはり無い方がよかった。ボイシングをチェックしたりテンポを確認したりという作業が楽しくてしかたない。あっという間に終了。
「まぁこんなもんだろ」をクリアするのはたやすいが、オーディエンスを瞠目させるアンサンブルはそう簡単には生まれない。この研究会がどこまでPlastic Loveを始めとした緻密なアレンジによる90年代ポップスを探求できるか、我々にもわからない。だが取り組み甲斐がある素材ではある。いっしょにやってみたい方、いませんか?