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YAMAHA DM2000漂流記

ご縁を得て機材を得る

· 機材

2001年公開、2002年にデビューしたヤマハのデジタルミキサーDM2000が、2024年3月に曉スタジオに漂着することになった経緯を書いておきたい。善意の人たちのお陰である。

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明かしてしまえば、このDM2000は岩手県盛岡市内にあったスタジオJIVEというリハーサル/レコーディングスタジオで稼働していた個体である。JIVEの閉業にあたりその多くの機材が然るべき相手に委譲されていったそうだが、このDM20000だけは引き取り手が決まらなかったらしい。理由を想像するに、2024年の今となっては筐体が大きすぎ、また多機能すぎるのだ。世界をウルトラ席巻したデジタルシンセサイザーDX7と同時期に発売されたDMP7を起点に、ラージコンソールの縮小版をコンセプトとしていたであろうDMシリーズの、こいつは頂点である。その後DMシリーズは廉価版のDM1000やO2Rの流れを組むO3Dなどに収斂し、その後はPA/SR系に狙いを絞り変貌していく。超多機能DAW全盛の現在、物理フェーダーなど8本もあれば贅沢というご時世である。そんなDM2000を喜んで引き取るという所業は、時代錯誤の行為には間違いないが、文化遺産の継承だと自負している。

オーナーの船越さんは、聞けば地元名士の血筋を今に引く方で、そういう有力者が盛岡のバンドシーンを支える側に居られることは、盛岡の文化の大きな財産である。盛岡で今も活動する鍵盤ジェダイ評議会会員の阪下肇之師とも当然のことながら親交深く、「誰か欲しい人いないかな」という船越さんの問いに、服部を思い出してくださった。30年も連れ添ったマッキー 24/08が稼働中ではあるものの老朽化が目立ち始め、遠くない将来にメインミキサーのデジタル化が避けられなかった曉スタジオにとっても、またとないチャンスだった。

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船越さんとJIVE Aスタで記念撮影(撮影:阪下師)

名乗りを上げて頂戴することはすぐに決まったものの、具体的に曉スタジオ内に設置するためには機材配置の大改造が避けられず、また盛岡・仙台間の運搬という懸念があった。

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機材地獄

スタジオ内機材配置の大改造は単純に肉体労働であり、病気で体力の落ちてしまった私には難事業。数週間かけてとにかくDM2000の置き場所は作った(突然の過酷な肉体労働のため発熱して2日間寝ていたりした)。運搬は阪下師が全面的に協力してくださった。

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38Uのラックから久しぶりに取り出したアウトボードやMIDI音源は、

作業空間確保のためにリビングへ一時避難

2024年3月2日、とうとう盛岡からの運搬が決行された。DM2000本体、12Uのラック2体、スタジオ家具一式である。曉スタジオの車両にはとうてい積み込めない物量だったが、阪下師の某北欧ブランド車両の荷台がすべてを飲み込んでくれた。当日は私はJR東北新幹線で盛岡入り、阪下師と合流しそのまま旧JIVEへ。初めて訪れたJIVEはすでにがらんどうになってはいたが、ふたつのスタジオ内、あるいはその廊下に、今でも集っていたバンドマンたちの熱気や賑わいの残滓が感じられた。だから多くの人に愛されていたスタジオであること、またJIVEがミュージシャンズをエンパワーしてきたことがひしひしと伝わってくる。そういうスタジオの機材を受け継ぐのは名誉なことだ。船越さんにご挨拶する。阪下師に繋いでいただいたとは言え、縁もゆかりもない仙台在住の服部に、船越さんは良くぞ譲渡を決心してくださったものだ。SNS上でまずはご挨拶した際に判明したのだが、2023年11月に盛岡クロステラスでの鍵盤ジェダイズYMOライブを観てくださっていた。その演奏を聴いてコイツなら大丈夫だろうと思ってくださったらしい。何がどう繋がって行くか分からないものだ。

ご挨拶もそこそこに、早速搬出作業開始。切れているDM2000のメモリバックアップ用バッテリーの交換作業を実施し(手こずった)、階段を上り下りして車両に積み込み(肝心のDM2000を降ろしている最後の最後で、階段を踏み外しそうになった)、盛岡県民会館裏手にあるとんかつはたやさんで昼食を摂り、16時に仙台の曉スタジオで搬入作業を行った。

搬入を終えてみれば、置くには置けたが音楽制作に適した配置とは言い難く、結局スタジオ内の8割くらいの機材は再構築・再配置を余儀なくされている。これを機に使わない機材は目の前から無くそうと思って作業を始めたが、24U分も新たな収納が増えたため、余裕で置きっぱなしにできるなど当初の目論みが早くも崩れつつある(笑)。またスタジオのヘッドクオーターたるDAW入力とモニター環境は、これまで設置壁面の中央を意識して整備してきたが、さすがにもうそれは難しい。つまりはDAWの作業空間そのものも再構築することになる。当初の目論みよりも作業は激増するが、これぞ生まれ変わりの苦しみというヤツだ。あまり焦らず納得できるものになるよう慎重に作業したい。

船越様、阪下様、この度は本当にお世話になりました。ありがとうございました。